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私の一言コメント、俺にも言わせろ、応援コメント、そうなんだコメント

2024  ROMAFEST GYPSY SUMMER CAMP 2024  の2週間
         YouTube2題  
堀川能與 Yoshitomo HORIKAWA

 

2024  ADAM JULIAの日本体験Facebook3題(2024年ROMAFEST参加 MELLES ENDREパートナー)


2023  ハンガリージプシーツアー2023 夏 in Nagyecsed   根岸千春

2020   増永先生との旅 トルコミリア編   JJRohita

          ロマフェスト・ジプシーフェスティバルに思う 最終回になる!!!?   coco鮎美
           
FaRida❤ロマフェス後記

2019 ジプシーの父 、増永哲男さん Marika Bajramovska

          DHOAD ドード・ジプシーズ・オブ・ラージャスターン  coco鮎美


2018 ロマ研のこの20年とジプシー  根岸千春(NPOロマフェストJAPAN幹事)

 

2017 見ました!GYPSY COLINDA (クリスマスキャロル) 堀川能與
 

2017 かぶり付きがお薦めだ セルビア民族舞踊愛好家 長江 勝

2016 オンドラーシュが来る。あのオンドラーシュが! チェコフォークダンス愛好家 田中すみ子
 

2016  重厚に大地から 増永哲男

         名人と言われる踊り手からせられる「格好よさ」  ハンガリー民族舞踊研究家 (踊り部代表) 神谷 孝
         少ない人数の音楽家とは思えないほど豊かな音楽に包まれて踊る ハンガリー舞踊愛好家 柴田正宣
         徐々に高まるダンサーの熱気は観客を巻き込み心躍る熱狂へと導いてくれる  土香代表 尾崎 清博

         ハンガリーを必死に追い続けて来た事が今の私の民族舞踊活動の原点 ヴァラシュカ 代表 財原和彦

2015 Dhoad Gypsies From Rajasthan  Coco Ayumi

          5カ国ロマフェストジプシーキャラバン NPOロマフェストJAPAN代表 増永哲男

2014 クロアチア国立ラド民族音楽舞踊団 LADO 増永哲男
 

2013 LADO公演によせて 大村エリ

          マケドニア・フォークロール原風景 増永哲男

2013 お喋りの声も、庭先に咲く花の色も、美しいハーモニー 大村エリ
 

2012 文字で記録を残すガージョ、文字を持たないジプシーは?

          目から鱗のジプシー 謎解き特別企画 NPOロマフェストJAPAN代表 増永哲男

    即興創造性、素で地を行く自由さ 桐原良子
    チンゲララーシュ(チンゲリ)徳元裕子
   『ジプシーってどんな人?』根岸千春

 

2012 「ルチニッツァ、ルチニッツァ」 スロバキアダンス研究会クラスナ・ホルカ主宰  大久保精一
 

2011 フィナーレ公演準備中に大きな地震、ジプシーたちは泣きました、そして祈りました。
     交通移動不能、それでも3名のお客様が、、、

     出演者も観客も涙、涙の感動コンサート、さよなら パーティ

2011 ROMAFESTに恋して Ⅰ 徳元裕子 (NPOロマフェストJAPAN幹事)

          ROMAFESTに恋して Ⅱ 徳元裕子 (NPOロマフェストJAPAN幹事)

          ROMAFESTに恋して Ⅲ 徳元裕子 (NPOロマフェストJAPAN幹事)

2010 コロ舞踊団を迎えて 高市雄之(フォークダンス愛好家)

           コロに始まり、コロに終わる 増永哲男
 

2009 ハンガリー民族の芸術天性 増永哲男

2008 チェコは歴史上民族的文化的に、ボヘミア(地元はチェヒィ)、モラヴィア、スレスコの3地方 鵜沢敏子

2007 ヘンリック・ドゥダのクラシック ポーランド 増永哲男

    圧巻のクラコヴィアク マズールFD研究会 菅沼泰彦

    ポーランドの踊りの魅力 川上雄也 ポーランド民族舞踊研究会 「彩」

    魅力あふれる国「ポーランド」とスゥォヴィアンキ 門間 巌 仙台ポルスキータンツ研究会  
    踊る天国 佐 藤 武 志
    スウビアンキ舞踊団を迎えて 片岡宣義 ネットマズルカ

    ポ-ランドの踊りに接する 吉田幸三 名古屋ポ-ランドダンス研究会
 

2006 芸術監督エルビン・バルガ氏の珠玉作品 増永哲男
 

2005 感覚伝承文化の極み 増永哲男

          生粋のジプシー、ほとばしる才能 NPO ROMAFEST JAPAN 理事 徳元裕子

          大きく花開け、ジプシー文化 NPO ROMAFEST JAPAN 副理事長 根岸千春
           第1回ロマフェスト・ジプシー・シンポジウム参加記 佐藤雪野

2004 ボスニア・ヘルツェゴビナ民族音楽舞踊団CAJAVEC 増永哲男

2003 日本ルーマニア友好百周年記念公演 ルーマニア国立ムレシュ民族音楽舞踊団 増永哲男

2001 ゼレジアル民族音楽舞踊団 東スロバキア

          ドゥルズバ民族音楽舞踊団 西スロバキア 増永哲男
 

2000 AND DROM、SZASZCSAVAS、4つの国立舞踊団によるハンガリアン・ジプシープログラム

1999 リトアニア国立民族音楽舞踊団 LIETVA 増永哲男

1997 マケドニア国立タネツ民族音楽舞踊団 TANEC 増永哲男

          マケドニアの踊りの素晴しさ、精神性の高さ 郷 成仲

          複雑なリズム、「ため」のあるリズム 民俗舞踊研究家 先崎廣伸

          マケドニア国立タネツ民族音楽舞踊団  先崎房枝

 

1996 ルチニッツァ 増永哲男

          スロバキアにナズドラビエ 山 田 雄 一

1995 ハンガリ-国立ブダペスト民族舞踊団 増永哲男
 

1994 続・ボス増永哲男 小 林 岳 丸

          スロバキア国立スルク民族舞踊団 SLUK フォークロールレポーター 増永哲男
 

1993 ボス・増永哲男 小林岳丸 1993.01

          ドクルトゥのメロディ 御徒町フォークダンス研究会 佐野政治
 

1992 ルーマニア国立マラムレシュ民族舞踊団 相互交流を基本にした公演 増永哲男

 

1991 Cプロに期待 民俗舞踊研究家 先崎広伸
           一歩一歩実現ヘ 御徒町フォークダンス研究会 佐 野 政 治
 

番外     フォークロールレポート公演プロジェクトのきっかけ 東欧民族舞踊団の危機 増永哲男

​1990  フォークロールレポートの始まり フォークロールレポート代表 増永哲男

2024RomafestSummerCamp Horikawa Yoshitomo
2023Camp根岸千春

ハンガリージプシーキャンプ
2023 夏   
根岸千春

 

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Folklore report 増永さんの、

見ていただきましょう!

 感じていただきましょう!

 ここもとってもすごいのよ、

 素敵な人たちが、素敵なものが

   いっぱいあるのよ、

 ハンガリージプシーキャンプ』

参加させていただきました。

増永さんとSzilviプロデュース。

踊りをたくさん見て体験して、ジプシー達がどうやってリズムと暮らして、大事な人たちと心を通わせるのか。 少しわかったような、まだまだ全然わからないような。 

また来よう。また連れてきてもらおう。また見せていただこう。

後ろの教会はかつて司教が滞在するほどの由緒ある教会。

キャンプ・宿舎、Polinkaにて。 みんなの憩いの場のお庭。

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巨匠達へ。 「100万回のありがとうございます」を。

尊敬するSzilviと。 Nagyecsed全域に水を供給する塔をバックに。

繰り返しステップを見せてくれたマルビラ先生。 練習後の一枚。

突然夜中にやってきた、ハーロムセーク舞踊団のエンドレ先生と、ウルクーの名人レムスの孫のフニ。 ウルクーの踊りも教わりました。 最も大事なのは、フィギュアでは無い、どのような種類のステップを繰り出せるのかでは無い。リズムを感じてリラックスしてそれを楽しむことだ。それを強く君たちに伝えたい。と熱弁のエンドレ先生。
「はい。 肝に銘じます。」

巨匠たちのダンス

市長直々のNagyecsedの水との戦いと共生の歴史解説
ハンガリーの工業技術や工夫が満載。

ニールバシュバル・ジプシーグヤーシュパーティでの一枚。 

ギターのパパと歌手の美人娘。 前回のハンガリージプシーツアーで歌を聞かせてもらったtündérの家族だと判明。 繋がる繋がる深いぞ広いぞ彼らの才能。

市長直々による、Nagyecsedの特産品チーズと肉製品とワインの紹介。 

という名の素敵な宴会。

Szilvi 大好き

喜多君専属のダンスのエズキエル先生。
ブダペストの教育学部に通う先生の卵。 地元大好き。

博物館に飾ってあったプシー娘の写真。
Szilviのおばあさま。美人。間違いなく踊りの名手でしょう。

帰国後、昔のアルバムを見返してみた。 まだフィルムのカメラだったころ。 フォークロールも全然何が何だかわからなかったころ。 ただただ素敵な人達だったなと感動して涙してた頃。 

今年、強烈な思い出の中の人たちと次々に再会し、互いにそれを喜び合える。 それが増永さんのフォークロールツアーです。

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超再会シリーズ。 顔をじーーーっとみたら、
わかった!!! フェリだ! たくさんギターを弾いて歌ってもらった。 

20年を超えて再会しました

Csinos néniとの再会. 本名は誰も知らない。Cdinosすぎて、そうとしか呼ばれないCsinosな女性。
「もう私には踊れる足が無いの。」と言って、Cigány nóta を披露してくれた。声は若い頃のままでした。遠くにいた子供たちがみんなこちらに振り向きました。

Katiのお家の庭で。Cigány lecsó とBokoji 調理実習
早速日本でも作ってみます。 まずは大きな鍋を買わなくては!

JJ 増永先生との旅 トルコミリア編

 

増永先生との旅
トルコミリア編


何年前だったかな。。。
8年前。。?
増永先生と2人トルコのロマ達を求めて当てのない旅をしました。
その後にセルビアに入り、ハンガリーを経由してルーマニアに行った長い旅の一コマです。

イスタンブールの街中を2人で歩き続け、色んなところを訪ねロマ達の情報を集める増永先生といつもハラペコな私。
お金は全部増永先生に預けてるので買い食いも出来ない。
トルコのマーケットは魅力的で思わず「可愛いアクセサリーが欲しいです!」一気にショッピングモードに。そんな私に「見るだけにしないと」万年の笑みで答える先生。
旅の目的が違うだろと。。無言の圧力。しかもめっちゃ笑顔。

素直に(?)「はーい」と答え
増永先生について歩く私は飼い犬のよう。
増永先生はいつも目を輝かせ
人に訪ねてはメモを取り
場所を訪れてはメモを取り
電話を繋いでもらってはメモを取り
本当に凄い探究心で全力で情報を集めてました。
そして必ず、町の名前が出ればそこへ行き、人の名前が出ればなんとかアポを取りその人に会いに。
凄い行動力。その日のうちに即行動。

不思議な事に増永先生の周りには
すぐ情報が集まり、手助けしてくれる人が集まり、すいすいすーいと目的が達成されていく様子を目の当たりにして本当にびっくりした事を覚えてます。

必要な所には必要な情報が集まるんだなあ、増永先生凄いな、と、ちょっと目に見えない力の要素すら感じながら、、

お腹が空きすぎた私はボイコットを度々起こし、飯が食べたいと駄々をこね、レストランが嫌いな先生はよくロカンタで食事を取らせてくれました。

山盛りに取り分けてもらって「全部食べれるのか?」と心配する先生を横目にあっという間に空っぽに。
先生は調査に夢中になると、ご飯を食べずに調査し続けるので、食べれる時に食べておかないと次いつご飯食べれるかわからんぞの精神が養われ自分でもびっくりする量を平らげてました。
増永先生との旅で身に付いた変な技。つい癖で日本で増永先生に会っても物凄い量を食べてしまう。

そんなこんなでトルコのジプシーの村に辿り着き一通り探索。
そこはエディルネというジプシー達だけでコミュニティを作って生活してる所でジプシー達ばかり。(あたりまえ)
増永先生はまず何をしたかというと、突然散髪したいと言ってジプシーの床屋さんで髪を切ってもらってました。
その間私は床屋さんで孫娘のように待機。
本当ならジプシーの村についたのだからあちこち出歩きたくて仕方ない。もうソワソワが止まらない。それを体で表現して見せるも増永先生が「ここで待ってなさい」と。

何度も言われたその台詞。

私から離れたらダメだ、危ないから私の側で待ってなさいという意味で
それくらいジプシー達のディープなゾーンに入ってると言う現れ。
言葉の意味を深く理解し
ジプシー床屋さんの窓から外の様子大人しく眺めてました。
その瞬間に、日本でいくらジプシーダンスを踊ってても私はジプシーじゃ無いんだと感じる時。
逆になぜかそれがほっとする。

散髪の終わった先生は気持ち軽やかにジプシー達のお家を訪ね歩きます。
そして、ジプシーのボスの家へ。。。
日本でパフォーマンスをしてくれる子達をスカウトする為の交渉が始まりました。
コレは話すと長くなるのでここでは書きませんが雰囲気だけ。

雰囲気凄い。。増永先生本当凄い
先生がジプシーみたいだ!
ボス。。怖い!本当怖い!
先生!凄い!ボス悩んでる!
うわああああーー

そんな感じで第1回交渉が終わり
びっくりしたままイスタンブールへ舞い戻る。

一息ついてから、またイスタンブールを調査すると言っていたので先生をお迎えにお部屋に伺うと、「大変だ、歩き過ぎて痩せてしまった」とコーラを一気飲みしていた。(コーラなんか飲むより痩せた方が健康には良いのでは?)と思ったけど言わずに街中へ。もしかしたら言ったかも。


その時トルコにミリアちゃんが
住んでると情報が入り、すぐにアポを取りミリアちゃんと対談へ。
電話を切ってから秒で駆けつけて
くれたミリアちゃん。
トルコで見たミリアちゃんは
芸能人かと思うオーラを放ち
サングラスを外した顔はお人形のようで心から嫉妬に悶えたのを
今も思い出せる。そして今も可愛くて嫉妬する。

美人を前にニコニコの先生。
先生はわかりやすい。
増永先生がミリアちゃんにインタビュー。丁寧に答えるミリアちゃん。
ミリアちゃんを心から応援すると言った増永先生。その気持ちが嬉しいと答えるミリアちゃん。腹が減ってる上にあまりの可愛いさに嫉妬に悶える私。
3人の対談が終わりミリアちゃんとバイバイ。

その時に日本に戻ったらイベントやろうね!と約束した私達
ボヘミアン ジュイはこの日に約束された大切なイベント。
それはミリアちゃんのトルコでの修行を年1で日本で発表してね!
という約束のイベントでした。

毎年欠かさず繰り広げられた
ボヘミアン ジュイ
どんどん規模が大きくなり
イベント自体にファンがつき
2年前からは即日でソールドアウトする。
フライヤーを作っても配る前にソールドアウトしてしまうので家にダンボールに入ったままの印刷物。
もう私の手に追えないマンモスイベントになってしまいました。

今思えば
そこからミリアちゃんはどんどん活躍の場を広げ、もう本当に芸能人のよう。
可愛くて愛嬌もよく、そして礼儀もあり人情深い。信念もしっかりある。絶対どこか落とし穴があると思って長年別目線でミリアちゃんを調査してるけど欠点なんて見つからない。
そして今もまだ絶対何処かに落とし穴が!!!と調査は続いてる。

さぞかしトルコでモテモテの逆ハーレム生活をしてるのかと思いきや。
トルコに住んでいる間ロマ達の踊りに感銘を受けた6年前の気持ちのまま今でも修行を積み続けてる。
絶対嘘だ!と嫉妬心から何度も疑ったけど彼女のロマダンスを見たらそれが本当なんだと認めざる得ない。
それくらい彼女はロマに近い踊りを見せてくれた。

そんなミリアちゃんから先日人生で初めて自分の気持ちをSNSに載せました。と連絡がきました。
それを読んで私もミリアちゃんについてちょっと話せる事があると思って増永先生との旅も絡ませ書きました。ミリアちゃんリスペクトの気持ちから書いてます。

8年前の私達はまだ初々しくコレからのことを沢山想像して2人でだけで盛り上がったあの日の約束のイベント。
ボヘミアン ジュイ
日本の素晴らしいダンサーさん達にご出演頂き数えきれないパフォーマンスを見せてもらってきました。
憧れの人に衣装を作らせてもらえる幸せな企画まで誕生しそれに燃えてます。

トルコで修行を積んでるミリアちゃんのパフォーマンスは毎年ボヘミアンジュイで見れます。
毎年お見せできるように私も頑張ります。

可愛い可愛いミリアちゃん
コレからも応援してるフリして別目線調査続けます。
調査の為に私はミリアちゃんが開催してるオンラインレッスンを受けてます。
そのレッスンはミリアちゃんの研究結果が詰まった本格的なターキッシュロマの細かく噛み砕かれた濃厚な内容です。
ミリアちゃん自身も熱く語ったターキッシュロマへの思いを皆さんも体験してみてください。

次は増永先生と初めてのルーマニア編なんか書いてみようかな。

 

coco鮎美 DHOAD ドード・ジプシーズ・オブ・ラージャスターン coco鮎美

DHOAD
ドード・ジプシーズ・

オブ・ラージャスターン 
                    coco鮎美

人間は、「幸せ」だと真に思う健全な人生の為には、心を通わせられる人間関係があることが大切だ、と言われています。

 Rahis Bhartiが日本との繋がりを築いたのは、2013年にヨーロッパのジプシーフェスティバルに出演していた時に出会った、ある日本人がいたからです。その方は、東ヨーロッパ、 バルカン地方のロマ・ジプシーミュージシャンやダンサーを40年近く継続的に招聘し、東ヨーロッパの国立舞踊団も45年、日本に継続して毎年招聘をされている。

 大学時代よりフォークダンスをし、実体験から学び、日本の民族舞踊の知見も深く、日本のフォークダンス界ではレジェンドとして慕われている方。2013年にDHOADのファンになり、2015年に日本に初めて招聘し、26都市でコンサートをする「ロマフェスト5ヶ国ジプシーダンス・ミュージックフェスティバル」を開催されました。

 増永さんはDHOADの音楽的なクオリティだけでなく、ジプシーが旅立ったルーツである、北西インドのラージャスターニ伝統芸能を世界に保存しているラヒースの姿勢に感銘を受けたそうですそれは自身が、フィールドワークに精を出し、日本にロマ・ジプシーの芸能を広める努力をしてきた姿と重なったと語られていました。

 まさにこの方が、本日! 2019年2月の第2回Dhoad日本ツアーの主催者NPO Romafest 代表 増永哲男さんが、奥様とパリに到着しました。

 夢のある世界のお仕事の為、まだ公表出来ないのですが、ラヒースが現在インド初のテーマでディレクションをしている世界的なプロジェクトの応援に、増永夫妻は参りました。友情を越えて、家族の様な関係の3人です。世界的なエンターテイメントの仕事で、プレッシャーも多いですが、ゆったりと出来る親子水入らず?!な時間を過ごして欲しいですね。

 このプロジェクトの様子を、みなさんに早くお伝え出来る時が待ち遠しいです!

2019年7月17日 FBより

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メンスールの日本の父。 ジプシーの父こと増永哲男さん

メンスールの日本の父。

ジプシーの父こと増永哲男さん

Marika Bajramovska    2019.05.20

増永さんの話は本当に面白い!!
なぜかって、30年以上に渡ってジプシーに寄り添ってきたから。

 

 増永さんはジプシーの音楽や踊り楽しい面を主に紹介しているけれど、実は私よりも誰よりもジプシーの差別問題などマイナスな面もジプシーと共に受けてきました。
 ジプシーとの国境越えは毎回苦労の連続です。どんなに書類の準備が万端であっても国を出る許可をもらえないという何かしら問題が起きます。
 増永さんにとって家族同然のジプシーへの対応にどんなに苦しい思いをしてきたことでしょう。 そんなときも落ち着いてゆっくり時間をかけること2時間。このときは足りない書類をファックスしてもらい事なきを得ました。
 しかしこんなことは序の口。30年以上このようなことを繰り返し、ジプシーと共に心を痛め涙を流してきたのです。

 そしてジプシーだけでなく、非ジプシーの家族ともご近所付き合いがあるので彼らの思いも痛いほど理解しています。
 ある日の非ジプシーのご家族との会話。寒い冬にも、関わらず近所に住むジプシーの家のドアが無いことに気付き、ドアをプレゼントしたそのご家族。これで冬が越せるだろうと思った矢先、数日後またドアが無くなっていたと。なんと、あまりの寒さにドアを薪がわりに燃やしてしまったと。だから私達はジプシーに同情することが出来ないのだという非ジプシーのご家族。
 お金がないのだから燃やしてもしょうがないと思う人もいるでしょうが、お金がなくても有るものは大切にし、薪を拾いにいくジプシーもいます。
 
 増永さんももちろん同じような体験をしていますが、見捨てたことはありません。私だったらもういいや!と逃げたしてしまうと思うし、何人もの外国人の人がジプシーを支援したいとやってきては去っていったそうです。

 ただ数回ジプシーの元へ訪れるのではなく、一つ一つの家族とずーっと長く付き合いを続け、ある家族とは赤ちゃんの頃から少年少女期を経て、結婚、出産、子供が増え、またその子供が結婚し…この人生の歩みを見守り続けているのです。 時には名付け親になったり。 メンスールもその1人で、他にも何百、もの家族が増永さんに見守られています。大袈裟ではなく事実です。


 だからこそ、ヨーロッパ各国で功労賞を授章しまくっているのでしょう。(増永さん自分で言わないの。そこもすごいところ。大きな舞台で実際に授章されているところを見たときは涙がちょちょぎれてしまいました。)

 ではなぜ増永さんはそんなマイナスな話をしないのか。
 事実を隠したいわけではありません。知りたければ増永さんはいくらでも話してくれますよ。
 でもジプシーって可哀想!応援しなきゃ!って紹介でジプシーは本当に喜ぶのでしょうか?少なくともメンスールは嬉しくないと実際に言っています。
それよりも。ジプシーの才能って世界一じゃん!ジプシーミュージック、ダンスって、なんて人を幸せにしてくれるんだろう! え、でも何、何?環境あまり良くないの?じゃあ応援してあげよう!ってほうが何百倍もジプシーを愛した上で応援したくなりませんか?


 マイナスな事以上に愛すべき愛しいものが彼らにはたーくさんあるし、そして俺達の素晴らしい芸術を見せつけてくれ!というジプシー達の熱い思いを増永さんは痛いほど理解しています。

 

 ジプシーを研究するのは増永さんに密着し取材するのが、何よりも近道だと思います。私が映画作る人だったら速攻取材をしたい。うわべだけでなく奥の奥をみることが出きるから。
 

 口ではあなたは私達の家族よって言われても、非ジプシーで、まして家族以外でジプシーから心から受け入れられてるのって難関なんですよ。これは私がジプシーの嫁になって初めて解ったこと。

 ジプシーが認めるジプシーの父・増永さん。

大変熱く語ってしまいましたが…

えっ、身びいき?身内の持ち上げ?と思われるかもしれませんが、それだけではありません。増永さんは、私がジプシーになりたいんです😭!という夢を叶えてくださった恩師です。16年前薄っぺらいジプシーの知識しかなかった私に、出し惜しみすることなく全てを見せてくださり、体験させてくれました。ホームステイさせてもらった行く先々で「増永さんの知り合いだから、あなたを大切にしてるのよ!」と。言われ過ぎて耳にタコが出来そうでした。

 夫であるメンスールと出逢えたことも増永さんのお陰です。

 そして結婚後に分かったことは増永さんの元で学んだ全てが本当だったということ。

 これは増永さん以外の研究家のお話が嘘だという話ではなく、どれも本当のことです!ただ、先日の超話題のジプシーイベントJai ho! Jzamo hătyalo!主催の1人COCO鮎美さんも言っていましたが、情報で溢れた現在、誰から情報を得るのか。これって本当に重要だと思います。その後の人生まで大きく変わることがあるから。

増永さんからジプシー人生のスタートを切ったことが私の人生の幸運でした。

 

だからこそ、私と同じようにジプシーになりたい!近づきたい!と悩める方にご紹介したいのです。 マケドニアジプシーの家族になれた私ですが、たった7年という期間。そんな私の話よりも、もっと沢山のことが知れますよ。

 増永さんの話を聞かないのは人生を損してるくらい。もったいなさすぎる。
というわけでたくさんの人に聞いていただきたいのです。
どうかたくさんの方に伝わりますように✨

​付録

私がいつも思っていること、残念なこと

2019年4月11日にFaceBookに投稿しました。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1149618458544613&id=100004894086435

なんだかなぁ。

外国人からみたジプシーについてのお話って、可哀想なことが圧倒的に多い。

 大虐殺、差別とかの話ね。

何でなんだろうと考えてみたんだけど、きっと、現地に行ってジプシーに英語か通訳でインタビュー形式でロマの虐殺や差別についてどうおもっていますか?なんてやり方で話を聞いているんじゃないかっておもう。

例えばいきなり外国人の人にあなたは広島、長崎の原爆についてどうおもっていますか?みたいな。

 聞かれたら絶対悲しい。とかあの仕打ちはやりすぎだった。って答えるよ。

でもでも普段からその事について考える人って極わずかでしょ。

 私なんて毎日メンちゃん、3人の子供、両親、マケドニアの、家族、仕事。自分の生活を守ることで頭がいっぱいだよ。

じゃあジプシー達は?

ジプシーも同じ。彼らの言葉を覚えて毎日一日中一緒に居てみれば分かるから。

 俺達はなんて可哀想なんだ。なんて話聞いたことないし。家族、仕事のことで手がいっぱい。

もちろん一緒にいて差別も見たさ。だけどそれに負けないくらい強いよ。

 しかもレストランでうちの長男と、メンちゃんの一番小さな弟が店で暴れてましたよ。その時にメンちゃんのママがボソッとつぶやいたのが、「これだからこのチガン(ジプシーのこと)って言われちゃうのよ」って。

またある日のメンちゃんと親族とのグループ電話。会話の途中で「だから俺達ロマ(ジプシーのこと)は大きくなれないんだよ」って。

差別を受けてる理由を知っているわけです。じゃあ、差別を無くしたいのなら本人が理由となる対応も改める必要もあるでしょう。

ジプシー皆が貧しいわけじゃないし。もちろん子供が川に入って何かをさがし続けていたり、車が通る道路にたって窓を掃除している人もいるよ。彼らの住みかはトタンで出来てボロボロだったり。

じゃあメンちゃん達はなんで大きくて綺麗な家にすんでるの?家族がお金持ちだから?

違います。メンちゃんいわく自分が小さいときは小さなワンルームにジジ、ババ、父の兄、その嫁、子供3人、パパ、ママ、自分。でヤギ、馬一緒に暮らしてて自分はヤギと寝ていたんだって。

メンちゃんの家族はミュージシャンだから仕事があるじゃーん!

なんてとんでもない。メンちゃんのパパはミュージシャンだけじゃなく、ゴミ拾い、遺体を運ぶ仕事、寝る間も惜しんで家庭を養いながら家を少しずつ大きくきれいにしてきたんです。

つまり努力をしてきた。

いまだに粗末な家にすんでる人の多くは父親は酔っ払って路上で寝ていたり。

もちろんそうじゃない人もいるでしょうが。メンちゃん達はこのような人達を非難することもあります。子供を使ってものごいとかするひと等に対して。

この辺の事情(ジプシーは他のジプシーについてどう思っているのか)はいつかメンスール家族と話してみたいと思います。

というわけで、ジプシーの研究をするなら彼らの言葉でずっーと一緒にいたほうがいいんではないかという提案です。

そういえば、ジプシーの彼と生活をともにしてきたフランス人の女性はジプシーの少女グループと同じ部屋で過ごし、彼女達は可愛そうだから一緒にいてあげるのー。って言ってたけど僅か1週間で私にもリミットがあるって少女達を避けていたのを思い出した。

これがジプシーの近くに住むガジェ(非ジプシー)の気持ちなのかしらと思ったり。

ジプシーとだけ生活をするのだけでなく、非ジプシーの人とも長く一緒に過ごして初めて差別問題を少しだけ語れるのではないでしょうか。

一緒にいて、普段のふとした瞬間に彼らがどのように生きているかが感じられますよ。

というわけで、私達も、私達のジプシーでつながってきた友人も、私をジプシーの世界に連れていってくださった増永さんも、私達が大切にしているロマフェストも、頑張っているジプシーを応募しています!

堀川 能與Colind

堀川 能與 Yoshitomo Horikawa

2017年12月28日 21:21 · FBより

 5日間増永さんの後につかせていただき、サースチャーヴァーシュバンドの方々とのクリスマスキャロルを、すぐそばで、ほんとすぐ隣で見させていただきました。
 

 最高のバンドでした。今まで結構な数の演奏を生で聞いてきましたが、そのどれよりもすごい、比べてはならないとも思うくらい素晴らしい演奏でした。頭がじーんとする感動を覚える音楽を、バンドの方々の真隣で聞ける幸せは、後にも先にもこれだけな気もします。。深く、厚く、パワフルでエネルギッシュな演奏、何でこれほどまでに違うんだろ、と考えてもわからない、すごいものでした。

 増永さんにはたくさんご指導をいただきました。
村に訪問するということへの礼儀、村の方々への感謝、

フォークロアに関して、踊りに関して、研究に関して。
この村とこの村はすぐ隣なのにこんなに違うのか!とか、

ここの人達はすごく素敵だな、とか、

ここのジプシーとここのジプシーはこう生活や踊りが違うのか!とか、

ジプシーの人達のエナジーとか、

ジプシーの人達の音楽がかかったときの雰囲気とか、

ジプシーの人達の踊りの素晴らしさや熱感とか、
どんな生活なのか、

どんな料理を食べるのか、

どんな家にすんでるのか、
百聞も千聞も一体験に如かず、

ということを学びました。


 フォークロアは知らないこと、わからないことばかりで、今までどれ程知らなかったことが多かったか、勘違いや誤解があったかを知りました。

たくさん知ることができ、自分が全然知らないことを知りました。
だから次はこれをする!というのはまだ見つかってません。ゆっくり考えていきます。
自分が何ができるのか、自分がこれから踊りとどう向き合っていくのか、踊りは今後どうなっていくのか、日本で踊るということ、環境はどうなっていくのか、考え出したらきりがないですが、きりがないから考えていきたいと思います。

 サースチャバシュ・バンドのかたには、ヨージ!ヨージ!(僕の名前の略称ヨシがハンガリー人の名前のヨゼフの略称ヨージに似ている)と呼んでもらい、楽器を運んだりちょっとしたことを手伝わせてもらいました。
ヨージ!よかったよ!と最後にいっていただけたので、邪魔にはなってなかったのかな、とちょっと安心してます。

 増永さんについて回らせていただくのは、夏のツアー、秋の結婚式に続き、三回目だったのですが、回を経るに連れて増永さんのパワーとエナジーとに圧倒されます。四十才以上年上というのは嘘なんだと思います。また、どの村どの居住区にいっても「テツオ! オー、テツオ!」「先生!」という人ばかりで、増永さんへのその土地の人からの敬愛、尊敬を感じました。こんな方の後ろで回らせていただき、見て感じたことは、僕の今後の民族舞踊生命での宝です。

 
 土地の美しさを目で感じ、音楽の素晴らしさを耳で感じ、住んでいる環境のにおいを鼻で感じ、その土地その土地のおいしい食べ物を舌で感じ、握手の強さや使っているものの感触を肌で感じました。五感でたくさん感じたくさん学びました。

 

 こんなことを40年続けてらっしゃる増永さんへの尊敬がより強まったこの11日間です。

帰国してから、またじっくり踊りと向き合おうと思います。
たくさんの誤解と無知と向き合いながら、自分が楽しめるよう好きに踊りたいと思います。

興奮してぼーっとしてるので長々書いてしまいました。。

”オンドラーシュ”が来る。

あのオンドラーシュが!

チェコフォークダンス愛好家 田中すみ子 2017

 1997年冬、ダンス大好きなすこ~し年のいった3人の少女が、寒いプラハのメーン・ステーションに降りました。チェコのクリスマス・ダンス・ウイークに参加するためでした。 チェコのフォークダンスとの出会いです。衝撃でした。美しいメロディー、力強い男性のヴォーカル、優雅な泣きたくなるようなスタロダーヴニー、軽快なポルカ・・・・ああ、こんな踊りがあったのですね。
 そして2002年オンドラーシュが日本に来ました。若さ、力強く洗練されたステップ、エネルギーの迸り、最高の芸術でした。
 チェコの踊りにのめりこんで19年、青い空・白い雲・広い草原と美しい町を思い浮かべ、むつかしいチェコ語と格闘しながら私もチェコの踊りを踊っていきます。

田中すみ子 ONDRAS
NEMZETI 重厚に大地から

重厚に大地から

フォークロールレポーター 増永哲男 2016

  長く千年近くハンガリーの施政下にあったカルパチア盆地(ルーマニアトランシルバニア・スロバキア・ハンガリー・セルビア北部)・クロアチアの多種多様な民族文化が共存共栄し、盟主ハンガリーの寛容が各地方各民族に素晴らしい民族音楽舞踊を育みました。

  さわやかに天から聞こえるスロバキア音楽、フレンドリーに周りから聞こえるルーマニア音楽、ハンガリーの音楽は重厚に大地から聞こえてきます。

  今回は中欧の玉手箱、ハンガリーの民族音楽舞踊をご紹介します。変幻自在なチャルダーシュ、勇壮なベルブンク、知性と優雅とパワフル・レゲニェシュを鬼才ジュラフスキー・ゾルタン率いる「ハンガリー国立舞踊団」の公開展示はエキサイトな感動のオンパレードです。

Dhoad Gypsies From Rajasthan 
coco鮎美​  FB

  創始者のRahis Bharti (ラヒース・バールティー)は、DHOAD Gypsies From Rajasthan(ドード・ジプシーズ・フロム・ラージャスターン)のアートディレクター兼タブラー奏者である。 7世代にわたって続く音楽家系の直系で、イスラーム王朝ムガル帝国、イギリス・インド帝国の時代を強かに生き抜いてきた北インド・ラージャスターン地方最大の藩王:マハーラージャーの都、ピンクシティーで知られる美しいジャイプルが故郷である。 彼の先祖はみな由緒ある伝統的楽師であり、ラージャスターンに割拠する様々な藩王国の宮廷においても、音楽活動で仕える生活を常としてきた。藩王の元で演奏をし、またそのような品格の楽師を育ててきた彼の家系は、Khan Sahab(カーン・サーハブ)というコミュニティに属する。 ラヒース・バールティーこそは、先祖の血とたゆまぬ努力で受け継いできた伝統的遺産「民俗音楽」と「宮廷古典音楽」を、若く10代の頃から世界中に紹介してラージャスターンの音楽文化の評価を高め、その真髄を守りながらも発展させている生粋のアーティストでありエンターテイナーであるといえる。 DHOAD Gypsiesは、過去15年間で世界95か国において、約1100のコンサートを行ってきた実績を誇り、今もなおその記録は更新中である。
 
  このような功績は、今や「ラージャスターン文化大使」として世界のワールド・ミュージックシーンにDHOADの名を不朽足らしめた。美しきインドの砂漠に伝承されるラージャスターンの民俗音楽、そして7世代に渡り伝承されるRahis Bharti一族の歴代の音楽は、DHOADのステージを通して世界に伝えられ、観る者を魅了する。彼らの名声を博した公演は数知れず、その目撃者には、英国エリザベス女王2世(ダイアモンドジュビリー・即位60年祝典)、元フランス第24代大統領フランソワ・オランド氏、自らのお城でのプライベート誕生日パーティーに招聘したミック・ジャガー氏、パリ訪問歓迎式典に出席した現インド第18代首相ナレンドラ・モーディ氏など、世界的著名人の顔ぶれがうかがえる。様々な国を代表するミュージシャン達とのコラボ作品も次々と残しており、近年ではポーランドのWarsaw Village Bandとの作品が、ポーランドのグラミー賞に値するFryderykを2016年に受賞した。そして、フランスを代表するトップアーティスト、フランスの鬼才-M-ことマチュー・シェディッドとは2017年に、世界平和を訴えるメッセージ性のある作品で共演している。このように国境を越え、世界のミュージシャン達とともに、インドの美しい旋律を世界に発信し続けているのだ。
 
  DHOAD はラージャスターンの結晶とも言える、世代を超えた芸能の担い手からなる集団である。いにしえのマハーラージャー(藩王)の国から遣わされてきた彼らは、自分たちの伝統文化に精通したうえで、いかなるパフォーマンスにも全力で魂を込めた芸術表現をおしまない歌い手を含む6人の楽師たち、そして男女一名ずつの舞り子たちからなる。・・・クルクルと優雅に舞い広がる女性のスカート、ファキールと呼ばれるアクロバット専門の男性の舞手が火を吹くと、観ているものはまるで催眠にかかったかのよう・・・彼らの魅力的なパフォーマンスから映し出される物語と共に、藩王国の時代にタイムスリップする。この豪華絢爛なステージは、音楽と踊りこそ、どんな時代にも、世界に平和をもたらすという信念に基づき、メッセージ性も高い。 また後世にラージャスターンの伝統的な民俗文化芸能を保存し、継承させるという使命感から、ラージャスターン中の様々な音楽を生業とする異なるコミュニティの楽師やインド民俗舞踊のコミュニティからもバンドに招聘している。このように彼らは先祖たちに敬意を表し、前述したカーン・サーハブ Khan Sahabという、藩王に仕える楽師コミュニティの伝統を引き継ぐ誇りと名誉を一時も失うことなく、世界を舞台に活動を続けるラージャスターン唯一無二のバンドである。

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5カ国ロマフェスト

ジプシーキャラバン
フェスティバル

コンサート
フォークロールレポーター 増永哲男 2015

 その発祥の地と云われるインド・ラジャスタンから、新天地を求めヨーロッパへ移動していったロマ・ジプシー。現在バルカンやヨーロッパの様々な国で暮らすジプシーたちは、辿り着いた地域に暮らすガージョ(非ジプシー)の宗教や文化と融合し、それぞれの国ごとに独特のジプシー・フォークロールを育んできました。ムガル帝国時代のマハラジャから民衆まで幅広い音楽と舞踊を支え、インドの芸能に携わる部族・カーストから生まれたジプシー。オスマン帝国時代バルカンへ多くの音楽ジプシーを運んだトルコ。ジプシー文化を開花させたマケドニア、ルーマニア、ハンガリー。今回はこの5カ国のジプシーをご紹介します。


 ジプシーのステージは即興演奏と即興ダンス、無限のバリエーション。命を削る、身を削る、その一瞬一瞬にもエネルギーを燃やしつくす、真のエンターテイナー。ガージョ(非ジプシー)には最高に難しいジプシー独特の間(ま)とリズム。蓄積され受け継がれるジプシーDNA。熱い熱いフェスティバルコンサートになります。

 

 第4回ジプシーキャンプが前期2月6日(金)から8日(日)、後期3月6日(金)から8日(日)まで開催されます。ジプシーダンスワークショップ、ロマ・ジプシーシンポジウム、ジプシー音楽と舞踊を愛するミュージシャン・ダンサーが年に一度集うロマフェスト・ジプシーフェスティバルの詳しい情報は NPOロマフェストJAPAN のWebページに随時掲載されます。


 次回2020年は ― インドからヨーロッパへ ― 後編、トルコ、セルビア、アルバニア、ルーマニア、ウクライナ、ポーランド、スペインの中から、5カ国ジプシーが集結します。 文字で記録を残すガージョ(非ジプシー)の文字伝承文化に対し、文字を持たないジプシーたちは五感による表現により伝承してきました(感覚伝承文化)。オリジナルなジプシーの表現にその土地のガージョのフォークロールを融合し、その土地に、その国に、独特のジプシーダンスがクリエイトされていきました。
 

 だからジプシーダンスはひとつではありません。西アジアには西アジアの、アラブにはアラブの、バルカンにはバルカンの、ヨーロッパにはヨーロッパのジプシーダンスがあります。

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5か国coco鮎美DHOAD5カ国
2015 DHOAD 増永哲男
大村えり LADO2013
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